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深谷の郷土文化のご案内


by nakazeriver

栄一の考え

渋沢栄一は青年期尊王攘夷運動に共鳴討幕を試みた。

幕臣となりパリ万博に随行してからはヨーロッパ文明を吸収それを明治維新日本の産業近代化に組み込み

日本の近代化に貢献した。

その考え方の基本はフランスサン、シモンなどの思想をベースとして血洗島時代に岡部藩とのやり取りや藍

玉商売から得た究めて実践的合理的な考え方である。


しかしその考え方は論語や儒教を基本とした人間的な信頼関係に支えられている。

パリ万博のあとのヨーロツパ巡航では産業革命のさなかにあった社会をつぶさに目の当たりにして
近代社会 の矛盾と欠陥に直面した。これがのち教育や社会福祉への活動に繋がることになる。


労働者はもとより産業経営者も対等の信頼関係をもって取りまとめた。


産業に従事する人を近代的な市民 シチズンとして対処、産業経営者も対等なシチズンであり


人権を尊重する近代経営を主導した。


またそれにより市民の教養としての娯楽や演劇の支援にも力を尽くした。


病院や福祉施設もそのような考え方の根底から設置運営にあたったのである。




そのおおもとになる人格を養成するために大学や高等教育機関の設置育成に

力を尽くした。

近代会計を取り入れるため 一橋大学を設立し、日本の近代化にふさわしい女子教育のための日本女子大学など設立した。

欧米に文化経済面で追いつくためにも大学や高等商業学校などへの支援助成寄付などを惜しまなかった。

また大隈重信の要請で明治政府に出仕したことにより大隈とも密接な関係にあり、早稲田大学にも長年にわたり財政や経営の面で支援後援をした。

明治維新後西欧に追いつくために 栄一は日本人の 真の人格モラルの向上 と 個人それぞれの資質を高めるため    力を惜しまなかった。この実現が 近代国家を作るため必須の要件だと感じていた。

  論語とそろばん   はこれを一言で現わしたものである。




栄一はパリ万博のあとイギリスを訪問し産業革命後の近代産業や金融制度を勉強している。

ロンドン  Abbyロード
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     ロンドン  ビッグベン

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by nakazeriver | 2012-09-01 23:00